音楽・映像・写真、承ります。

山口優
suguru yamaguchi
作編曲家・音楽プロデューサー。慶應義塾大学経済学部中退。87年「EXPO」でデビュー。キャリア当初からクライアントワークでの音楽・サウンド制作に軸足を置き、自ら設立した音楽制作プロダクション「マニュアル・オブ・エラーズ・アーティスツ」の代表として、広告、テレビ、ゲーム、ウェブなどのメディアに楽曲を提供、プロデュースし続けている。中古レコードショップ「SONOTA」の運営、仕入れも行う。近年は若いサウンドクリエーターの発掘を盛んに行い、日本の音楽制作フィールドの質の向上を目指している。
伊藤ガビン
gabin ito
編集者。成城大学経済学部経済学科卒業。1985年に株式会社アスキー『ログイン』の編集者を経て、1993年にボストーク有限会社(1997年に株式会社に改組)設立。「編集」という切り口で、紙、ウェブ、映像、展示空間までをディレクション。椹木野衣がキュレーションした「アノーマリー展」で現代美術作家としてデビュー。2021年3月まで女子美術大学短期大学部造形学科教授、2021年4月から京都精華大学デザイン学部メディア表現学科教授 [1]。2007年に株式会社BCCKSの設立に参加。デザインユニット「NNNNY」メンバー。2016年10月から、マンガの読みものサイト「マンバ通信(https://magazine.manba.co.jp/)」編集長、映像にフォーカスしたメディアNEWREEL(https://newreel.jp/)編集長。
常盤響
hibiki tokiwa
1966年東京生まれ。80年代半ばからバンド活動の傍ら雑誌を中心にライター、イラストレーターとして活動を開始。90年代に入りヤン富田氏の依頼でASTRO AGE STEEL ORCHESTRA『ハッピー・リビング』のデザインを手がけたことによりCDジャケットを中心ににデザインを始める。1997年旧知の作家、阿部和重氏の依頼で『インディビジュアル・プロジェクション』を装丁。この装丁のためカメラを購入し初めて写真を撮った事がきっかけでフォトグラファーとしての活動を始め、既存の概念にとらわれない作風で人気を得る。弊社社名の名付け親でもある。
岡村みどり
midori okamura
作編曲家。7歳よりピアノレッスンを受け、独学にて音楽を習得。
'80年代中盤、岸野雄一氏の呼びかけにより、『コンスタンス・タワーズ』メンバーへ。作曲、編曲、キーボードを担当。バンドメンバーとしてフォトグラファー&デザイナーの常盤響氏、作曲家の松前公高氏も参加(このメンバーは後に“スペース・ポンチ”名義にてCDリリース)。'80年代後半よりサエキけんぞう率いるパール兄弟のライブでの前座やファッションショーの音楽、ゲーム音楽等、仕事としての音楽活動をスタート。'96年よりマニュアル・オブ・エラーズ・アーティスツに所属。CM、教育番組BGM、企業VP、CD-ROM等、多岐にわたる音楽企画に参加。
音楽創作以外にも、ハワイ通として日系移民+ガラクタ+ラジオに関しての雑誌寄稿、'05年頃より蒐集しだしたソノ(フォノ)シートのカットアップやDJ等、岡村独自の視点での面白さを提唱し続けている物が多数あり、単なる収集や趣味の範疇を越え、常に、人々の耳目を集め続けている。現在はCM音楽やNHK Eテレの番組の音楽を中心に活動中。
アニメーションや映像へのシンクロ、いわゆる「絵合わせ」を得意とする作曲家である。
岡田崇
takashi okada
1969年生まれ、東京育ち。音楽関連のグラフィック・デザイン、VAGABOND cpa等で の音楽活動の他、なさそうでなかった「その他コーナー」専門中古レコード店 『SONOTA』の運営に参加。ムシ声ノベルティーの雄「チップマンクス」の日本編集 盤や作曲家・発明家・電子音楽家「レイモンド・スコット」の作品集を監修。2013年に レーベル『リル・デイジー』を開設した。細野晴臣のラジオ番組『Daisy Holiday!』で は準レギュラーとして選曲を担当、歴史に埋もれた“未知の音楽”を探究し続けている。
片岡知子の仕事
tomoko kataoka's works
元弊社所属のエース作編曲家であった片岡知子。弊社の新たな船出にも参加する予定だったが、2020年秋に残念ながら逝去。しかし彼女の残した数多くの楽曲は今も様々なメディアで発表されており、現在、すでに聴けなくなっている広告などのレアな発表物や、デモ音源、未発表楽曲などが、夫である岡田崇によってアーカイブ化、作品集に向けた作業が進められている。





